約 3,000,803 件
https://w.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/18.html
当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、単純な事実に関する膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、歴史篇を分割して作成。 2012年6月2日現在、2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 聖書篇(総合・旧約) 聖書篇(新約その1) ・ (新約その2) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」 「ふしぎなキリスト教」以外の良い入門書(あるんです!)紹介 (誠実な著者による良書からこそ学びましょう^^) 歴史についての間違い 歴史 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p26 「ローマ軍の手でエルサレムの神殿が壊されて、ユダヤ民族は世界中に散らされてしまったんですね」 (東京工業大学で行われた2004年度の宗教社会学のレジュメから窺われるように)橋爪氏が、ユダヤ民族が世界中に散らされたのはローマ軍によってエルサレムが破壊された70年以降だ、と考えているのであれば、明確に誤りである。紀元前から既にディアスポラのユダヤ人がいたことは確かである(たとえば、ディアスポラのユダヤ人の一人として、本書で何度も取り上げられているパウロが挙げられる)。しかし、70年以前にディアスポラのユダヤ人が既にいたことを承知しつつ、しかし大雑把にユダヤ教の流れを語るためにこのように述べているのかもしれない。大澤氏が102頁で「バビロン捕囚の後に、ディアスポラ(離散の民)ということが言われるようになります」と語っていて、それを橋爪氏は訂正していないから、こちらであるかもしれない(このような橋爪氏の説明は、前提とする読者のことを考えれば大雑把に過ぎると思われるが、この点については議論が分かれるところであろう)。なお、大澤氏がこの「ディアスポラ」が何を意味するのか分かった上で語っているのか、かなり怪しいことも指摘しておこう(102-103頁で大澤氏は、ディアスポラのユダヤ人を寄留者と同じように理解しているようだし、「特定の土地に定住しきらない移動する」人々とも考えているようだが、ディアスポラのユダヤ人はユダヤの地以外に寄留ではなく定住している人々のことも当然指す)。 Catholic Encyclopedia Diaspora p33p34 「イエス・キリストの時代には、神殿で儀式を行う人びとはサドカイ派、律法を守る人びとはパリサイ派、と呼ばれていた」「神殿で儀式を行ない、ヤハウェに犠牲を献げるのが、祭司たちです。サドカイ派は、こういうグループだった」 神殿で儀式を行う人びとは、祭司であり、その中にはサドカイ派の者もいたが、全てがそうであるわけではなかった。サドカイ派は当時のセクトの一つであって、モーセ5書のみを権威あるものと認め、口伝律法、霊魂不滅、復活思想を認めない点に特徴があるが、しかし当然律法を守っていた。この点から、「律法を守る人びとはパリサイ派」とは珍妙な説明であることが分かろう。そもそも程度の差こそあれ、ユダヤ人であれば誰でも律法を守っていたのだから。パリサイ派は律法をただ守っていただけではなく、より厳格に守ろうとしたセクトであり、且つ成文律法(モーセ五書)のみならず口伝律法にも権威を与えていたセクトである。 A.J. Saldarini, Pharisees, Scribes, and Sadducees in Palestinian Society p34 「バビロン捕囚から戻ってからは、預言者が現れなくなる。実際には現れたのでしょうが、見つけ次第、弾圧されるようになった。」 典拠不明。橋爪氏は捕囚後の預言者であるハガイもゼカリヤも居なかったと主張したいのだろうか。「聖書には書かれているが実在しなかったと思う」というのであれば、典拠をつけてそう主張するべきだ。橋爪氏がハガイもゼカリヤも知らないだけではないかと疑われる事を避けるためにも。 預言者ハガイが、ユダの総督シュアルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュアに対して預言した際、ハガイは「弾圧される」どころか、ゼルバベルとヨシュア、および民はハガイに耳を傾け(ハガイ書1章12節)、ハガイの預言通りに神殿再建に取り掛かっている(ハガイ書1章14節)。 HAGGAI - Online Information article about HAGGAIZECHARIAH - Online Information article about ZECHARIAHハガイ書1章12節ハガイ書1章14節 p34p112 「イエスが処刑されたあと、エルサレムの神殿が破壊され、神殿を拠点にしていた祭司がいなくなった。預言者もとっくにいない。律法学者だけ残った。これが、いま私たちが知っているユダヤ教です。」「律法学者(イエスの時代には、パリサイ派と呼ばれた)」 エルサレム神殿崩壊後に残った集団が「いま私たちが知っているユダヤ教」を作った、と言いたいのであれば、ファリサイ派が残った、と言うべきであろう。律法学者は読み書きに関する能力を持った人びとを指すのであって、従って神殿崩壊後に主流となったファリサイ派以外のセクト、つまり神殿崩壊と同時あるいはその後に歴史から姿を消してしまったサドカイ派、エッセネ派にも律法学者がいたのである。従って、律法学者が「イエスの時代には、パリサイ派と呼ばれた」とは明確な誤りである。 A.J. Saldarini, Pharisees, Scribes, and Sadducees in Palestinian Society p41 「イスラエルの民には、ヤコブの十二人の息子をそれぞれ先祖だと信じている、十二の部族がある」「ヤコブの十二人の息子の子孫が、イスラエル十二部族となり、めいめい土地を割り当てられて、カナンの地に定着します」 ヨセフ族がマナセ族とエフライム族に分かれ(マナセとエフライムはヨセフの息子であり、従ってヤコブの孫である)、ユダ族、イッサカル族、ゼブルン族、ルベン族、シメオン族、ガド族、ベニヤミン族、ダン族、アシェル族、ナフタリ族、レビ族、マナセ族、エフライム族、の十三部族とする伝承が一般的。土地の割り当てについて述べるならば、この伝承に基づく区分を採用すべきである。何故なら、橋爪氏の言葉に従えば、レビ族も土地を取得したことになってしまうからである! Catholic Encyclopedia:Jewish Tribe p41 「南側のユダ族が広い範囲を占めていて、北側に残りの部族がいる」 南北王朝時代の南ユダ王国とユダ族の土地の混同。時代も違う上、ユダ王国はユダ族だけの土地ではない。ベニヤミン族の土地もユダ王国に属する。また、仮にユダ族の土地だとしても、民数記26章とヨシュア記19章などを参照すると分かるように、別に広い土地だったわけではない。 Tribe of Judah, Territory of Judah. Jewish Enyclopedia Old Testament Map 4 - The Tribes of Israel p133-4 「イエスについては、文書記録があります。でもそれは、福音書に限られる。キリスト教の初期教会が伝える福音書がすべてだと言っていい」「別の記録、たとえば、ユダヤ教側の文書とか、イエスを十字架で処刑したローマ側の文書とか」は「見つからなかった」 イエスと同時代のユダヤ人フラヴィウス・ヨセフス(37年頃から100年頃)が93年か94年に著した『ユダヤ古代誌』18・63以下にイエスについての証言がある。尤も、この個所がヨセフスの真筆であるかについては議論があるが。 『ユダヤ古代誌』18・63以下 p139 「いつキリスト教が成立したかというと、それは、パウロの書簡によってである」。 聖書学の分野では一般に、パウロはユダヤ教に属すると考えられている。イエスをキリストと信じる人びとが、自分たちはユダヤ教徒であるかどうかというアイデンティティに関わる問題を自覚し始めたのは、パウロの死後であり、第一次ユダヤ戦争が終わってから、つまり70年以降である。 佐藤研『聖書時代史―新約篇』岩波現代文庫、2003年、144頁以下]上村静『旧約聖書と新約聖書』新教出版社、2011年、259頁以下。 p150p207 「当時、『義の教師』という人びとがいて」「歴史的実在としてのイエスは」「義の教師」 「義の教師」は死海文書に現れ、クムラン教団を作った人物あるいはこの教団の指導者を指していると考えられている。橋爪氏が「義の教師」という言葉でどのような人びとあるいは集団を指しているか不明であるが、「義の教師」はテクニカルタームであるから、この名称を用いては誤解を招く。従って、訂正が必要。 死海文書入門講座Ⅵ 和田 幹男 VI 正義の教師-クムラン教団の起源を求めて p161 ヘロデ大王の死後、四人の息子が国土を分割した 歴史的事実としてヘロデ大王の息子のうち、存命したのはアルケラオス、ヘロデ・アンティパス、フィリッポスの3人だけである(他は処刑された)。アルケラオスは「民族統治者 ethnarches」としてユダヤとサマリアを、ヘロデ・アンティパス及びフィリッポスは「四分領守 tetrarches」として、前者がガリラヤとペレアを、後者が北トランス・ヨルダンを支配した。「民族統治者」も「四分領主」も「王」ではない。ローマの皇帝の承認なしで「王」を名乗ればローマに対する反逆罪となる(なお、ヘロデ大王は遺言でアルケラオスを王としたが、これはアウグストゥスに許されず、従ってアルケラオスは「民族統治者」になったのである)。これを押さえずにイエスの時代を語れない。なお、第14版では「三人」と正しく訂正されていることを付言しておこう。 Herod the Great BiographyHerod Encyclopædia Britannica山我 哲雄 (著), 佐藤 研 (著) 『旧約新約聖書時代史』p169 - p170, 教文館 (1992/02) ISBN 4764279037 p161 「さらに、ローマの総督がいて」 同頁の文脈から見ると、当時のユダヤにはヘロデ王家(ヘロデ大王の息子アルケラオスのことであろう)、サンヘドリン、そして総督が同時期にいたように書かれているが、ヘロデ大王の後でユダヤとサマリアの支配者となったヘロデ・アルケラオスが失脚し(6年)、その後、ユダヤとサマリアはローマの属州となり、その結果ローマ総督が派遣されたのであって、アルケラオスと総督が同時期にいたわけではない。 佐藤研『聖書時代史―新約篇』岩波現代文庫、2003年、24頁。 p164 「イエスは、モーセの律法に違反する重大刑事犯なので、議会が逮捕して裁判にかけた。王もいたけれど、宗教法に関することなので、関与しなかったと思う」 上に挙げたように、当時のあの時代のユダヤ属州はローマ統治下なので王は持てない。「ユダヤの王」を名乗ったらローマに対する反逆罪で国ごとつぶされる恐れがあった。だからユダヤ属州には王はいなかったし、イエスがユダヤの王だと思われたらローマににらまれる可能性があった。大勢を守るために一人を殺そうと大祭司カイアファが判断した、というのは福音書にもある記述。ヘロデ大王が死んで領土が分割され、ヘロデ・アグリッパ一世がまたローマに認めてもらうまで、その間の期間にユダヤ属州に王はいない。そもそも、「金の冠」のかわりに「イバラの冠」、「王笏」のかわりに「葦の棒」、「紫の衣」のかわりに「裸に兵士の赤いマント」というのは、「王になれない偽者の王だ」っていう見せしめ、精神的な拷問の意味もあった。そして十字架にINRI、「ナザレのイエス ユダヤの王」が罪状書きとされた。ローマ帝国の総督ピラトは「イバラの冠」などでイエスを王になれない偽者の王として飾り立て、ユダヤ人たちに「見よ、あなたたちの王だ」と見せ付けてさらしものにする。それに対してユダヤ人は「わたしたちには、皇帝のほかには王はありません」と答える(ヨハネ19:14-15)。イエス裁判のシーンでピラトがイエスに真っ先に聞くのは「お前はユダヤの王なのか」ということなどは、すべての福音書に共通している。当時のユダヤ属州に「王」がいてはいけなかった、ということが前提でないと、イエス裁判のシーンは成立しない Jesus Christ The Political Situation Encyclopædia Britannica Judaea Encyclopædia BritannicaPontius-Pilate Encyclopædia Britannica p167 「パウロは」神の子を「どう考えていたか。……神の子とは、どういうアイデアかというと、まず、あちこちの国王がそのように主張していた。成り上がりの王が、自分の血筋を誇れない場合、「自分は太陽の子だ」とか「神の子だ」とか主張したんです。それは、パウロも知っていたと思う。だから、当時、神の子という考え方がまったくなかったわけではない」 パウロはローマ帝国の中で生きていたのだから、「あちこちの国王」の話をするのではなく、ローマ皇帝崇拝を語るべきであろう。というのも、初代皇帝アウグストゥス(在位前27-後14年)がまさに「神の子 divi filius」の称号を得ているからである。左記の指摘に対し、divi filiusであってDei filiusではない、との指摘が寄せられたので、当時のコインや碑文で、ローマ皇帝がギリシャ語で「神の子(theou hyios)」と呼ばれているものが幾つもある、ということを指摘しておきたい。更に、現在のトルコにある小アジアの都市プリエネから出土した、紀元前9年に発令された暦の勅令に関する碑文『プリエネ碑文』では、アウグストゥスが端的に「神 theos」と呼ばれていることも、ついでながらここで指摘しておこう。だから、イエスが「神の子」であると語ることは、ローマ帝国に対する抵抗の意味もあるかもしれない。以上から、パウロは「神の子」という概念があることを「知っていたと思う」と曖昧に語るのは困難であろう。彼は、ローマ帝国反逆者の処刑法である十字架刑に処せられたイエスを自覚的に「神の子」と呼んでいるのであり、それがローマ皇帝に対する或はローマ皇帝をそのように呼ぶ人々に対する批判をも意味することを自覚していた、と考えるのが妥当である。 Richard Niswonger, New Testament HistoryRichard A. Horsley, Paul and Empire Religion and Power in Roman Imperial Societyプリエネ碑文 p172 「当時のユダヤ教のグループには、パリサイ派とサドカイ派のほかいに、エッセネ派というのがあって、…。エッセネ派は、裁きの日は近いと考えて、人里離れた山の中にこもり、独身主義で祈りの生活を送る、みたいな人びとなんですね。独身主義で祈りの生活を送っていたら、五十年もすればその集団は消滅してしまうわけで、だからいなくなってしまったグループなんです」 イエスと同時代のヨセフス(37年頃から100年頃)の『ユダヤ戦記』II・8・4には、エッセネ派は山の中に出はなく「一つの町に住んでいるわけではなく、各町ごとに(共同住宅に)定住している」と書かれている。更にヨセフスは、エッセネ派にも様々なグループがあり、あるエッセネ派のグループでは、結婚を認めている、と報告している(『戦記』II・8・13)。つまり、橋爪氏はエッセネ派の多様性を考えていないのである。橋爪氏はエッセネ派の中のクムラン宗団を念頭において発言されたと思われる。この集団は紀元前2-1世紀には出来上がったと考えられるが、滅びたのは結婚しなかったからではなく、ローマ軍に占拠されたからである。70年頃と考えられているから、50年以上は消滅せずに残っていたのであった。エッセネ派はエルサレムの神殿がなくとも信仰は守れると主張した。そのため、一部の研究者は、このセクトが洗礼者ヨハネやイエスにも近い存在だった考える。エッセネ派が歴史の表舞台から消えていった理由は様々考えられているが、そののひとつとして、紀元70年のエルサレム神殿の破壊が挙げられるかもしれない。ローマによる弾圧に加え、神殿を失ったため、神殿に対抗する勢力として自らを規定していたグループであったため、存在意義が薄れてしまったのである。そのため、律法学者のファリサイ派の一部と合流していったと考えられている。また、これは橋爪大三郎の『性愛論』などにもみられる彼の独自の考え方であるが、独身主義をとった集団は滅びる、というものがあるらしい。その根拠は不明である。そもそも、独身主義や禁欲主義の団体は新人の入会を拒むとは限らない。カトリックの聖職者は独身が原則であり、正教の修道士聖職者は独身者であり、両教会にも修道制があるが、極めて長い期間存続しているのをどう説明するのだろうか? 死海文書入門講座II 和田 幹男 Ⅲ Ⅱ キルベト・クムランの発掘調査死海文書入門講座Ⅲ 和田 幹男 Ⅲ キルベト・クムランにいた住民は誰かEssenes - Jewish Encyclopedia Essene - Encyclopedia Britanica p173 大澤「イエスのグループを、エッセネ派と違うというので、『ナザレ派』と呼ぶ人びともいる」 典拠不明。誰がこのように言っているか、明言して欲しい。もちろん、イエスのグループを「ナザレ派」と呼ぶ研究者はいるが、それはイエスのグループをユダヤ教内部の一派と捉え、エッセネ派のみならずファリサイ派やサドカイ派からも区別するためである(例えば、出村彰『キリスト教入門2歴史』日本基督教団出版局、1981年(4版)、8頁など)。エッセネ派とだけ区別するだけの名称では、情報として不十分である。 出村彰『キリスト教入門2歴史』日本基督教団出版局、1981年(4版) p216 「(ユダの福音書が英訳されたことは)日本では一行もニュースにならなかった」 たとえば日経新聞が2006年4月7日に伝えている。日経新聞を始めとした諸新聞はニュースを伝えていない、と橋爪氏は言いたいのか。 歴史を覆す大発見! 「ユダの福音書」が明かす、イエス・キリストの最後の言葉 p236 「そもそも、教会というものができたことが、パウロの最大の貢献ですね」 パウロ以前に教会は(その形態がどのようなものであれ)各地にあった、と考えるのが自然。そもそも、パウロは『ガラテヤの信徒への手紙』1章13節で、召命を受ける/回心する前に「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました」と述べている。もし教会がパウロによって成立したのであれば、パウロがキリスト者になる前には教会が無かったことになる。しかし、パウロはキリスト者になる前に教会を迫害し、滅ぼそうとしていた。矛盾である。 ガラテヤの信徒への手紙1章 p237 「ユダヤ教」はローマ世界の神々を礼拝しなかったが、「ユダヤ人コミュニティに閉じていたので」、そのようには「見えにくかった」。だから「キリスト教は、初めて公然と現れた一神教として、人びとに深い印象を残した。キリスト教は無神論だから、神を拝まないのだろうと言われていたほどです」 事実と異なる。キリスト教以前にユダヤ教の人々がローマの神々を礼拝しなかったので、既に人々の注目を集めていた。例えば、前1世紀の修辞学者アポロニオス・モロン(キケロやカエサルの師匠)は、ユダヤ人を「無神論者」と罵っているが、これはユダヤ人が自分たちの主以外を礼拝しなかったからである。そもそもこのようにユダヤ人が侮蔑されたのも、彼らがヘレニズム世界に広く、しかもかなりの人数が住んでいたからである。ユダヤ人がいない土地を探すのは困難である、と当時言われていたほどであり、更に、ユダヤ人の中には上層階級に属し、政治的に活躍した人物も居た(たとえば、アレクサンドリアのフィロンの甥であるティベリウス・ユリウス・アレクサンデルは、ユダヤ総督やエジプト領事にもなった)。 野町啓『学術都市アレクサンドリア』 p238 (「19 初期の教会」の項目内で)「ユダヤ教のシナゴーグは、男女別々に着席する。イスラム教のモスクもそう。キリスト教の教会は、男女いっしょに座る。」 現代では確かに大半の教会が、教会堂内で祈る位置につき、男女の区別をしていない。しかしこの個所では橋爪氏は初期教会について語っているので誤り。初期教会においては男女の位置は区別されており、これは最近まで守られていた習慣である。4世紀のエルサレムの聖キュリロス(イエルサリムの聖キリル)も、教会堂内では男女それぞれ祈るよう教えている。またギリシャ正教会、コプト教会など、男女を教会堂内の位置で(教会堂の左右などで)分けるという習慣を守っているものが今でも一部存在する(正教会の全てで守られているわけではないが、守っている者・地域も少なくないということ)。なお、「座る」というのも一面的に過ぎる。正教会は立って祈るのが基本的姿勢である。現代の一部教会を見ただけで、初期教会や世界中の教会につき、勝手に想像して断定するべきではない。 Separate Church Seating ArrangementWhy do men and women sit on different sides in the church?Greek Orthodox Funeral for a Priest_Choir of Saint Sophia Greek Cathedral London(ギリシャ正教会聖ソフィア大聖堂での埋葬式の動画、ロンドン) p251 「180頃 『新約聖書成立』」 新約聖書が成立とは何を指しているのか不明である。新約聖書に収められている全ての文書が出揃ったのが180年頃と言うならば、遅すぎる(一般に、新約聖書諸文書の中で最も新しいのは『ペテロの手紙二』であり、これが150年より後に執筆されたと考える研究者はほぼいない)。テルトゥリアヌスが初めて「新約聖書」という名称を用いたことを誤って「新約聖書成立」と書いているのだろうか。しかし、テルトゥリアヌスがキリスト者となったのは180年より後であるから、早すぎる。正典としての『新約聖書』が成立した、という意味であるのか。しかしこれも、全くの間違い。そもそも西方教会において現行の新約聖書に含まれるのと同じ27書が正典とされたのは393年のヒッポーの宗教会議においてであり、397年の第3回カルタゴ宗教会議にて正典目録が発布されたのである(東方教会はもっと遅い)。 Catholic Encyclopedia Canon of the New Testament p255 「(五大総主教座エルサレム、アンティオキア、アレクサンドリア、コンスタンティノープル、ローマのうち)最初の三つはまもなく開店休業になって」 開店休業どころか、どの総主教庁も正教会のものも非カルケドン派のものも、全て現代まで存続している。この論法だとこの前永眠したコプトのシェヌーダ3世も「開店休業の主」だった事になるのだから、橋爪氏はコプトに対して非常に失礼なことを語っているのではないだろうか。また、トゥルーリ公会議では「ローマ、コンスタンティノポリ、アレクサンドリア、アンティオキア、イェルサリム」という序列が定められているが、何でこんな並べ方をしたのかは不明。 The Quinsext Council (or the Council in Trullo), 692 , CANON XXXVI.参照 コプト正教会の教皇シェヌーダ3世が死去、エジプト (AFPBB 2012年03月19日 09 54) p256 「全部で六回開かれた公会議の内容をすべて承認している(正教とカトリック)」 正しくは7回。これは「細かい間違い」ではない(「幾つの公会議を承認しているのか」がカルケドン公会議を認める側と認めない側を分ける分水嶺になっているため)。なお、14刷では正しく7回と訂正されていることも付言しておこう。 OCA - The Orthodox Faith - Volume I - DoctrineSources of Christian Doctrine - The Councils(アメリカ正教会) p256 「東方教会と西方教会が分裂したのは、スポンサーであるローマ帝国が、テオドシウス帝の死後、東西に分裂したからです(395年)。分裂してしばらくすると、両教会合同の公会議が開けなくなった。道中の警護や経費の負担ができないからです。」 高校の受験世界史通りに「1054年」を目安にせよとは言わないが、395年に起点を求めるとは幾らなんでも早過ぎる。正教とカトリック双方から有効性が認められている全地公会(第三:431年、第四:451年、第五:553年、第六:681年、第七:787年)は8世紀まで開かれているのであり、「ローマ帝国が分裂したから共同の公会議が開かれなくなった」というのは、もはや「解釈の違い」ではなく「事実に反する」。加えて、「帝国の分裂」=「教会の分裂」と簡単に言えるような事態だったら、イリュリクム統治領の教会管轄権の問題は起きよう筈も無い(イリュリクム統治領は東ローマ帝国治下だったが、教会管轄はローマ司教に帰属していた)。 久松英二『ギリシア正教 東方の智 (講談社選書メチエ)』28頁 - 29頁 OCA - The Orthodox Faith - Volume I - DoctrineSources of Christian Doctrine - The Councils(アメリカ正教会) p258 大澤「そもそもなんでローマ教会がラテン語を使ったのかよく解らない」橋爪「本来なら、ギリシア語であるべきですね」 「ローマ教会がなぜラテン語のみを使うようになったのかよく解らない」というのなら解るが、4世紀のシリアの聖エフレムだってシリア語使っていたのだから、ローマ教会が現地のラテン語を使ったことまでは、別段不思議がることではない。そもそもシリア語で膨大な著作を残した聖エフレムの存在を、橋爪氏も大澤氏も全く知らないと思われる。 St. Ephrem (Ephraem, Ephraim) the Syrian, (A.D. 373)(シリア正教会 アメリカ合衆国西部大主教区) p275 「初期教会は、ローマ帝国のただの任意団体で」 キリスト教が宗教法を作れない(間違い)、というところに現れた意味不明な記述である。初期教会がローマの国教となっていなかったことの表現のつもりかもしれないが、「任意団体」と言う限りは「公認」されていた(少なくとも適法と看做されていた)組織を意味するが、そのような歴史的事実は無い。ローマにおけるキリスト教の公認は4世紀である。そもそも「任意団体」という概念をあてはめること自体何が言いたいのか不明。任意団体は「法人」に対置される概念であって、団体の適法性・違法性は法人化の有無には拠らない。「公認」されたら「法人」と言いたいのか?「橋爪は宗教学者ではなく宗教社会学者だ」と擁護する向きもあるが、仮にも「社会学者」であれば、「法人」と「任意団体」の概念の違いを押さえてから発言するべき。 任意団体とNPO法人の違い | 京都市市民活動総合センター(流山市のウェブサイト内ページが消滅したため、参考リンクを変更) p312 「クジラに脂身がたくさんあって油が採れるとなれば、クジラを獲ってロウソクをつくってもいいし、(中略)こんなことは、キリスト教徒しかやらないんです。」 鯨油は江戸時代の日本でも照明・農薬など多目的に利用されていた。本書を読むと、キリスト教のみならず、日本の宗教・日本の歴史も誤解する。これも瑣末な間違いではない。間違いそのものも問題だが、橋爪氏による勝手な結論(キリスト教徒の特殊性強調)に合わせて、前提となる基本的な歴史的事実(日本人も同じことをしていた)が捻じ曲げられてしまっているという構造が、本質的問題である。 平戸市生月町博物館鯨の利用 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
https://w.atwiki.jp/fushiginakirisutokyo/pages/23.html
当ページでは、橋爪大三郎と大澤真幸による『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に記述されている、聖書に関して発言された部分での膨大な量の間違い・誤りを扱う。間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」が容量オーバーになったため、聖書篇を分割して作成。 2012年7月18日現在、130個以上の誤りが挙げられているが、まだ未完成。なおこの誤りの数は明らかな誤りのみをカウントしたものであり、疑問符が山ほどつく「ふしぎなキリスト教」に挙げられている項目数は含まれていない。まだまだ対応出来て居ない間違いがあるため、今後さらにページを分割することも有り得る。 ※ 当ページ編集者は、「少しくらい間違っててもいいじゃないか」という価値観・感想には拠らない。 間違いの量が桁違いに多い(当ページにまとめている通り)。「少しくらい」のレベルを遥かに超えて居る。 理系ではそんな事は許されないが、文系でも同じ。真面目な文系研究者や読者に失礼。 関連する研究をしている人々の努力と業績を一切無視して講釈するのは、学者も、金を払っている一般読者も愚弄している。 p254 大澤「「西洋」を理解するというぼくらの目標」と言ってながら、実際には西洋で一般的な解釈を説明する内容ではなく「橋爪独自解釈」がだらだらと書かれているというのでは、宣伝文句に偽りがある。 ※ 本ページにおける「参考文献」は、学術論文に使用出来るレベルのものとは限らない。一般向けにアクセスし易い便によって選定されることもある。 間違いだらけの「ふしぎなキリスト教」 歴史篇(上記ページが容量オーバーになったため分割されたもの、以下同様) 聖書篇(総合・旧約) 聖書篇(新約その1) 神学篇 他宗教篇(仏教・神道・イスラーム)(間違いだらけの惨状は他宗教の記述でも同様。これで比較が可能なのでしょうか?) 聖書についての間違い 目次 1 総論 2 旧約 3 新約その1 新約その2 新約その2 (その1はこちら) 頁数 誤りのある記述の引用 正しくは 参考文献 p208 「福音とは、これを聞いている人は救われるという意味です」 「福音」とは元来、「良い知らせを持って来た使者に与えられるほうび」あるいは「そのような良い知らせを受けた時、神々にささげる供え物」あるいは「良い知らせそのもの」のことであり、それが所謂キリスト者によって、イエスが伝えたメッセージあるいはイエスに関するメッセージを指すために用いられるようになった。福音を聞いた結果救われる、と考えるキリスト者がいることは事実であるが、福音の意味は「これを聞いている人は救われるという意味」ではない。 W・バークレー『新約聖書のギリシア語』滝沢陽一訳、日本キリスト教団出版局、2009年、108頁以下 p231 「十二人も直接の弟子がいた」 「十二人も」と言うが、この十二人は数多いるイエスの弟子の中から選ばれたのであって(ルカ福音書6章12節では、はっきりとこう書かれている)、つまりイエスの弟子は十二人だけに限られない、と考えるのが適切であろう。例えば、ルカ福音書10章1節でイエスは十二人の「ほかに七十二人を任命し」とある。その他、十二人以外の弟子が現れる個所は福音書に多数ある。にも拘らず、イエスの弟子が12人だけというのが史実で、弟子が沢山いたという記事が史実を反映していないというならば、証拠を挙げて論じるべきであろう。 参考として、ルカ福音書において「弟子」が現れる個所 p232 「あるとき、パウロは、馬に乗ってエルサレムからダマスコに移動する最中、突然、イエス・キリストに『会って』しまう。目が視えなくなって馬から転がり落ちた」 パウロの所謂「回心」(或は「召命」)の物語は、使徒言行録9章1節以下、22章6節以下、26章12節以下に記されているが、「馬に乗って」いたとも、「馬から転がり落ちた」とも書かれていない。尤も、この場面を描く絵画等で馬から落馬しているパウロがしばしば描かれることから、古来よりそのように考えられていた、ということは指摘しておこう。しかし、パウロがダマスコ途上で復活のイエスを見ただろうことはほぼ確かだろうが(ガラ1:16-18参照)、この使徒言行録に収められている形でのパウロの回心/召命物語は、後代の創作である可能性が非常に高い、と一般に考えられているが、それはパウロ自身がこの出来事について詳細に語っていないからである。この点もここで指摘しておきたい。 使徒9章使徒22章使徒26章 p233 「パウロがなぜ手紙を書いたかというと、布教活動をしている最中に、拘禁状態になって、自由がなくなったんですけど、ローマの市民権を持っていたので、手紙が書けた。で、手紙をたくさん書いた。それがいくつか残っているのです。」 パウロの真正書簡の内、彼が獄中で書いた書簡、所謂「獄中書簡」は、『フィリピの信徒への手紙』と『フィレモンへの手紙』のみである。パウロは拘禁されていない時にも手紙を書いている。 サンパウロホームページ p234 「まず、十二人の弟子の能力があまりに低かった。ユダは、金銭の管理もまかされているし、ほかの連中よりも学があった。と言うか、他の連中は学がなさすぎた。シモン(ペテロ)がいちおう弟子たちのリーダーということになっているが、漁師とか、まあふつうの人びとですね」 何を根拠にこのように言っているのか、不明である。聖書ではシモン(とその兄弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネ)が漁師であることは語られているが、その「能力」がどの程度であったかは語られていない。またマタイは徴税人であったのだから、金銭の計算には一定程度の職能を有していたと思われる。シモンが漁師であることに言及して「十二人はふつうの人びと」で、だから「能力があまりに低かった」と言う橋爪氏の主張は、職業差別ではないだろうか。 教皇ベネディクト十六世の55回目の一般謁見演説教皇ベネディクト十六世の64回目の一般謁見演説 p238 「キリスト教徒は扉を閉めてこっそり祈る。いつ祈るかは個人の勝手でわからない、というふうになっていました」 キリスト教の初期において、迫害を恐れたために扉を閉めてこっそり祈る人々もいただろう。しかし、「いつ祈るか」が「個人の勝手」とは意味不明である。これはキリスト者は個々人が自分の都合に合わせて祈っていた、という意味か。この想定が正しいとするならば、橋爪氏は、キリスト者は扉を閉めてこっそりと隠れて、それぞれの都合に合わせて祈っていたから、祈りの様子はおろか祈っているかどうかも分からない、と言いたいのだろう。しかしこれは誤りである。個人で祈ることももちろんあったが、初期の教会でも現在と同様に、集団での祈りがあったことは、例えばコリントの信徒への手紙一14章1節以下、使徒言行録1章14節に記されているし、祈っていることがキリスト者以外にも伝わることもあったことは、使徒言行録16章25節に記されているからである。なるほど、使徒言行録は史実を語っているとは言えないかもしれない。しかし、使徒言行録はまったくのフィクションではなく、ある程度史実を反映しているとも言えるだろうから、全くの間違いとして退けることもできまい。そもそも、使徒言行録がまったくのフィクションであり史実を反映していない、という見解は少数意見である。使徒言行録が史実に忠実ではない、ということと、史実を反映していない、ということは別問題である。 使徒1:14使徒16 25 p245 「イエス・キリストが出番を終わって退場したあと、もう預言者が現れることはできない。預言者は、イエス・キリストの出現を預言していたわけで、もう用済みだ」 「イエス・キリストが出番を終わって退場したあと」のパウロの時代にもまだ預言者が教会にいたことが、そして重視されていたことが『コリントの信徒への手紙一』12章28節以下から明らかである 『コリントの信徒への手紙一』に現れる預言者 p245-6 「聖霊がルートを変えなさいと教えてくれた。これはパウロの第六感かもしれないし、パウロが関わっていた諜報機関の友人が情報をこっそり教えてくれたのかもしれない。こうしたはたらきがみな、聖霊です」 第六感が聖霊の働き、と言うのであればまだ分かるが、「パウロが関わっていた諜報機関の友人が情報をこっそり教えてくれた」のを聖霊の働き、というのは理解に苦しむ。これは人間の働きであろう。聖霊が「諜報機関の友人」に働きかけて、パウロに教えてくれた、という意味であると言うことか?それでは言葉が足りない。そもそも、パウロが関わっていた諜報機関とは意味不明であり、新約聖書にはそんな機関はどこにも書かれていない。 p246 「信徒が集まっているところには、私もいると思いなさい、とイエス・キリストが語っていた。でも、イエス・キリストはいなくて、代わりに聖霊がいる」 根拠不明。橋爪氏が語っているのはマタイ福音書18章20節であるが、ここの前後にもマタイ福音書の全てを見ても、「イエス・キリストはいなくて、代わりに聖霊がいる」、とは一言も語られていない。自説に都合の良いように聖書を書き換えてはいけない。 マタイ福音書18章20節 p247 「パウロは…復活のイエスとも会っていない。旅の途中で幻をみただけ」 例えばパウロは『コリントの信徒への手紙一』15章8節で、キリストが自分に現れた、とはっきりと語っている。 『コリントの信徒への手紙一』15章8節 p343 掲載されている主の祈りの「最終行(編者注。マタイ福音書では6章13節)は福音書にない、付加部分」 福音書にないのではなく、後代の付加である、というのが正しい。そもそも橋爪氏は日本語の主の祈りに続けてKJVのマタイ福音書6章9節以下の主の祈りを引用しているが、そこには「福音書にない、付加部分」と橋爪氏が呼ぶ個所が記されている("For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen")。これを橋爪氏あるいは大澤氏はどのように説明するのか。KJVに含まれているマタイ福音書は福音書ではない、と主張するのか。この橋爪氏あるいは大澤氏の説明を敷衍して考えると、KJVだけでなく、同様の箇所を含むルター訳聖書などのマタイ福音書も福音書ではないことになり、日本語の聖書の新改訳聖書などのマタイ福音書も福音書ではないことになる。 KJV版マタイ福音書 外部リンク 間違いだらけの『ふしぎなキリスト教』とそれを評価する傾向につき 誤りと誤解と偏見に満ちている本, 2011/7/13 映画瓦版の読書日誌 ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判まとめ一覧 - Togetter 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判100- Togetter 最新 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判1 - Togetter(2以降と別のまとめ製作者によるもの) 橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』に対する批判2 - Togetter(2以降のまとめの始まり)
https://w.atwiki.jp/hide_history/pages/24.html
隠れん坊オンライン統一掲示板...。そこは一般的に隠れん坊オンライン掲示板と呼ばれる。 この掲示板は本来隠れん坊オンラインをプレイしている現役のプレイヤーが集まる場所...のはずなのだが...。 どういう訳かこの掲示板で隠れん坊オンラインに関する話は行われず、また一時期は隠れん坊オンラインをプレイしている掲示板民が1人もいないという奇妙な状態になることもあった。 今回はこの記事で、それらの掲示板に関する違和感を徹底的に考察し、納得できる答えへと導いていこうと思う。 類似する著名達 まず初めに、一般的に著名と呼ばれる掲示板民達を挙げてみよう。私が思う著名だと呼ばれる掲示板民達は以下の通りだ。 Duke of York れたん マキイフカ 出雲 経済産業省 極東 2世 レミィ シノン ズワイガニ アカツキ これらの人物の中から、今回主にフォーカスするのはDuke of Yorkから極東までの合計6人である。これらを仮称として政治著名と呼ぼう。 政治著名には幾つか共通する特徴がある。それは、「社会科に関する卓越した知識がある」ことだ。そして興味深いことに彼らの半分は隠れん坊オンラインをプレイしていなかった。 (Duke of York,れたん,極東に関しては目撃情報あり。) さらに極東以降の4人は、先程の6人とは対照的に前述の特徴に当てはまっていないのである。 これらの特徴は、これから始める本章の核心となってくる。 随分と長くなってしまったが、ここからが本編である。 第1章 「掲示板」という存在 掲示板における「有能」 突然だが、この表を見てほしい。 この表はかつてTwitterで活動していた迷言集botが評価した各掲示板民の図である。 これをよく観察してみると、先程の政治著名が出雲を除いて左上に集中しているのがわかる。左上は「過激派であり、有能」とされるスペースである。迷言集がいう事全てが正しいと言うわけではないが、確かにこれは的を得ている。 しかし、この政治著名のうち唯一出雲だけは右下に位置している。右下というのは「穏健派であり、無能」とされるスペースである。このことから6人は似た性質を持つが、明らかに違うところがあるとわかる。読者の皆様は何を今更当たり前なことを言うのだと思うかもしれないが、それは本当に当たり前なのだろうか?私はこれらの資料を見ていくうちに、そう疑問を抱くようになった。 この話はまた少し後に回すとして、掲示板における「有能」とは一体なんなのか。読者の皆様は考えたことがあるだろうか?これは人によって答えが変わるかもしれない。 私が思うに、掲示板における「有能」とは「功績を残した者」のことを指す。 事実、過去のみん作に存在した「時系列で見る掲示板の歴史」を参照してみると、善悪問わず何か大きな事を成し遂げた際はそれを称えるような書き方になっているのがわかる。(椿ゲート事件を除いて) 自治領時代の掲示板民の多くはDuke of Yorkの考えた有能観を大きく受けていた。しかし、迷言集は違った。迷言集はその功績の背景までしっかり見ていた。迷言集の表によると、出雲は右下に位置している。迷言集はそれまで「有能」だと思われていた出雲を初めて無能と揶揄した人物であった。掲示板民はDuke of Yorkの影響をさらに大きく受けていた為、出雲の「影」に気付くことができなかったのである。迷言集は出現当時掲示板の醜聞を広めていたと思われていたが、それは皮肉にも掲示板の真の姿だった。事実、彼の言っていることは厳しくともほとんどが一致していた。 そういった面で迷言集は掲示板民を初めて公正に判断した人物だったと言えるだろう。 政府の異常性 掲示板の特筆すべき点は政府が存在することである。今となっては当たり前になってしまった政府であるが、外部から来た人間が見れば間違いなく困惑するだろう。しかし、政府という存在は政府の権限が保障されていたみん作における2022年の1月〜8月ごろなら短期的に成功していたと言えなくはない。問題はそれを政府の権限が保障されていないゲームウィズ自治領へと輸出したことだ。実際、当時の自治領政府の政策は「政治ごっこ」と揶揄された。 こういった背景から見ても「政治家」として成功したのはDuke of Yorkのみであると言えるだろう。 そしてまた興味深いことに、政治著名達はれたんを除いて全員通称「政府ごっこ」に参加していたのだ。それではここで一度政府経験がある掲示板民をリスト化してみよう。 Duke of York 2世 シノン マキイフカ ワロター バイキングザリガニ 経済産業省 出雲 極東 公安委員会メンバーと自動字幕botを除き時系列順に並べてみたが、やはり政治著名が多く含まれているのがよくわかる。 そしてここで、今私は政府経験者から「自動字幕bot」を除いた。詳しく言ってしまうと、自動字幕botはワロター追放事件から正式にれたんと認定されているのだが、私はれたんを政府経験者とは明記しなかった。 彼はシノン政権へのクーデターの為ワロターと共に蜂起、クーデターを成功させ第一共和政権を成立させた...。と思われがちなのだが、彼がした事と言えばワロターに付いてヒカマニの関連画像を貼り付けていただけなのである。政策や処罰、システムの構築も全てワロターが行った。ワロターがれたんであると正式に認定されない限り、これは「政府経験者」とは言えない。かの掲示板史では自動字幕botとワロターの功績について明記されているが、これらもまた掲示板史の「嘘」によって誇張されたものであると言える。 「政府」という闇の更に深淵にはワロターと自動字幕bot、そしてれたんの影が垣間見える。これが「政府の異常性」である。 政府としての中身は関係なく、「政府」として存在するだけで高い評価をもらえるのが「掲示板史」なのである。 闇 掲示板には幾つか闇が存在するが、読者の皆様は「掲示板の闇」と聞いた時何を一番最初に思い浮かべるだろうか?今回この項で考察するのは、掲示板民の「特異性」についてだ。長年に渡り無視されてきたこの闇であるが、これらの闇は政府とも深い関係がある。 まず、私が指す特異性について少し語ろう。私が指す特異性というのは「掲示板民の得意科目」についてだ。掲示板民は一般的に社会科が得意だとされ、社会科に関して卓越した知識を持っている。Duke of Yorkなんかがまさにその通りだろう。しかし彼1人が卓越した知識を持っているのならまだしも、れたん、マキイフカ、出雲...。と言ったように多くの掲示板民がこのような知識をもっている。 ゲームウィズ自治領 崩壊への道ではDuke of Yorkは ADHDの可能性があると指摘されている。ゲームウィズ自治領 崩壊への道から少し文を引用しようと思う。 衝動から発生した行動を成就させるのが並外れた集中力である。思えば2021年の一連の動乱は全て単純なものではなく、ひどく長引いたものだった。11月から12月半ばまで彼は掲示板の主役であり続けたわけだが、その間集中力を切らさずに自らの仕事をやり抜いた。 このような特性から生まれた業績が平凡な彼を特別なものへと至らしめた。蛇足かもしれないが、この衝動的・過集中という特性は注意欠如・多動症(ADHD)の症状にぴったりと合致する。「Duke of YorkはADHDだから成功した」などと言うつもりは全くないが、界隈の中では「ガイジ」と言われて差別されかねないような特性を持った人間が、そのおかげで掲示板のスターとなったということは皮肉なことだ。 そしてこれらを裏付ける特徴がDuke of Yorkには隠されている。それは、「興味のあることに対し極端に集中する」ということだ。これは過集中と呼ばれるものである。考えてみてほしい、彼の卓越した知識は過集中によりもたらされたものだと言うと、辻褄が合うだろう。しかし、これが何人もの掲示板民に共通していると言われるとやはり違和感を感じる。これらの問題は後にじっくり語ろうと思ったのだが、もう言ってしまおう。 政治著名の中には「自演」が含まれている。 勿論、自分でも奇妙なことを言っていることは十分に承知しているし、これらの仮説は可能性が低いということもよく認知している。ADHDを持つ子供の数は年々増加傾向にあるものの、それでも15人に1人程度だ。そしてかくいう私もこうやって元の話を引き裂いて先に自演に関する話を始めてしまっている。これらはADHDの注意散漫に該当するのかもしれない...。 少し脱線してしまったが話を戻そう。この自演説にも反論は存在する…。と言えばするのだが、どれも現実的でない。椿ゲート事件から活発になったとされる自演行為だが、それ自体はゲーマチの頃から存在していた。(ただ、ゲーマチの頃の自演はクーデターといった政治色の強いものではなく、自己顕示欲を満たすためのものが多かった) Duke of Yorkとれたんはどちらもゲーマチから存在していたことから、自演という行為にはそれなりの理解があったはずだ。実際のところは私にはわからないがこれらの政治著名の中に自演が存在していたことは確かだろう。 リーク 閑話休題、少し箸休め程度に掲示板の本線から外れた話をしよう。 読者の皆様は掲示板のリークについて知っているだろうか?リークと言っても確かな証拠があって情報を公開したりするわけではなく、ただ文言を添える程度なのだが。 この掲示板リークは私が知るところで3回行われた。(ただ、この辺りは記憶が薄くあまり信憑性はない) まず1度目は椿ゲート事件の前夜。2度目はワロター追放事件の直前。そして3度目はセラニコフ公職追放事件の前夜である。 一つずつ見ていこう。 まず、椿ゲート事件。これは椿ゲート事件の告発がされる前日の8月14日の夜、とある名無しによってされたリークである。このリークは直接椿ゲート事件のことを指していた訳ではなく「明日は革新的な日となる。」といったように明日に何かが起こるということだけを意味したリークだった。 次に2度目のワロター追放事件の直前。これについては私の記憶が正しければあったはずだ。これは椿ゲート事件の前夜と少し違い「自動字幕bot」を名指しした内容になっていた。勘のいい人はここでリーカーが誰なのか気付くかもしれない。 そして3度目のセラニコフ公職追放事件の前夜。前述2つと比べ規模が小さい為に無視されがちなこのリークであるが、これも2度目のワロター追放事件と同じ様にセラニコフを名指しした内容になっていた。 読者の皆様はここで今一つの疑問が浮かんだだろう。「これをリークしているのは一体誰なのか?」と。しかし、この答えは非常に単純なものだ。それはこの3つの事件の共通点を探せばわかる。これら3つの共通点とは「みん作が関わっていること」だ。そう、このリークはDuke of Yorkによるものだったのである。一つずつ説明しよう。 椿ゲート事件。この事件はDuke of Yorkならばすぐに気付くことができただろう。彼はIPの開示ですぐにでもれたんとそのサブ垢を特定することができた。これについて深く触れる必要はないだろう。 次に2つ目のワロター追放事件。これはワロターと自動字幕botが掲示板に書き込んだことによって摘発された。(ただ、この事件については現在でも見解が割れており、一種のタブーとなっている。) そして3つめのセラニコフ公職追放事件。この事件の発端は後にセラニコフのサブ垢と判明するラルカミアがみん作の掲示板を荒らした容疑にかけられたことから始まる。ラルカミアはみん作に書き込みをしたことで履歴がつき、連座的にセラニコフまで特定された。 このように、一つずつ見ていくとDuke of York以外にこれらをリークすることができる人物は存在しない。リークの話がひと段落した所で本筋へと戻ろう。 自演という盾 自演は今や掲示板とは切っても切り離せない関係にある。掲示板革命が終わってからというものの、自演は掲示板で権力を得る最も効率的な方法だった。この自演を活用したのがれたんだ。もはや自演の代名詞となった彼だが、そんな彼でも自演を始めた最初は一目で自演とわかるような出来であった。しかし、彼の自演が活発化し始めた2022年の夏は未だ自演という存在が表立っておらず、ましてや自演を疑うという概念すらなかったのである。実際、過去ログをみてみたところ椿ゲート事件の告発が行われる前に自演を疑っていたのはマキイフカただ1人のみであった。しかし椿ゲート事件が発覚すると急速に自演への認知が広まっていった。 それから2023年まで掲示板は地獄と化していたわけだが、ここで少し考えてみよう。それは一体誰が自演行為を行なったのか?だ。そんなもの、れたんに決まっているじゃないか。そう思うかもしれないが、本当にそうだろうか?確かに、れたんは自演を行なっていた。これは確固たる証拠があるものだ。私が言いたいのはそういうことではなく、れたんの影に隠れて自演を行なっていた掲示板民の存在についてだ。 親の顔より見た画像である。 椿ゲート事件が起きた8月中旬から終盤にかけて掲示板では「自演=れたん」という共通認識が出来上がった。しかし、これはプロパガンダに過ぎない。この共通認識が掲示板に広まって得をするのは一体誰か?そう、それは「Duke of York」である。ここまでの掲示板史もといこの「掲示板の真理」でどれだけ彼が出てきたであろうか。彼は自演=れたんという共通認識ができることによって政治を自由自在に動かすことができた。それはどういうことか?当時有効だった自治領の憲法上、みん作やDuke of Yorkが直接自治領に介入することはできなかった。(これは建前であり実際は露骨に何度も介入していた。) しかし、この自演=れたんという共通認識が出来上がることで、介入できなかった自治領の政治へと地道ながら確実に影響を及ぼすことができた。 このように、自演は掲示板で権力を得る最も効率的な方法として多くの人物に利用された。 第2章へ向けて 第1章では主に「掲示板の習性」そのものにフォーカスを向け考察した。しかし、この掲示板の習性は何によって構成されいるだろうか?ゲームウィズやアプリゲットの運営、という答えも間違ってはいない。だが、真に掲示板を作り出しているのは「掲示板民」だ。次章である第2章では、「掲示板」から「掲示板民」へとフォーカスし、更に深く掲示板を紐解いていこう。
https://w.atwiki.jp/daniel1260/pages/185.html
1 したがって,わたしの愛し,慕う兄弟たち,わたしの喜びまた冠[である人たち]よ,こうして主にあってしっかりと立ちなさい。愛する者たちよ。 2 ユウオデアに勧め,またスントケに勧めます。主にあって同じ思いでいてください。 3 そうです,真にくびきを共にするあなたにもお願いします。これら[の婦人]を今後とも援助してください。彼女たちは,クレメンスおよびわたしのほかの同労者たちと共に,良いたよりのためにわたしと相並んで奮闘したのであり,こうした人たちの名は命の書の中にあるのです。 4 主にあって常に歓びなさい。もう一度言います。歓びなさい! 5 あなた方が道理をわきまえていることがすべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。 6 何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。 7 そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです。 8 終わりに,兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい。 9 あなた方がわたしとの関係で学び,また受けたり聞いたり見たりした事柄は,これを実行しなさい。そうすれば,平和の神があなた方と共にいてくださるでしょう。 10 わたしは,あなた方が今やついに,わたしのことを再び考えてくれるようになったことを主にあって大いに歓んでいます。あなた方は実際には考えていてくれたのですが,機会がなかったのです。 11 自分が乏しいことについて述べているのではありません。わたしは,どんな境遇にあろうとも自足することを学び知ったからです。 12 実際わたしは,ともしさに処する道を知り,あふれるほどの豊かさに処する道を知っています。一切の事において,あらゆる境遇のもとで,飽きるにも飢えるにも,満ちあふれるほど持つにも乏しさを忍ぶにも,その秘訣を学び取りました。 13 自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです。 14 しかしながら,わたしと患難を分け合う者となったあなた方は,その点でりっぱに行動したのです。 15 フィリピの人たち,実際あなた方も知っているとおりですが,良いたよりを宣明し始めたころ,わたしがマケドニアを出発した際,物をやり取りしてわたしと分け合う者となった会衆は,あなた方のほかには一つもありませんでした。 16 テサロニケにおいてさえ,あなた方は,わたしの必要[を満たす]ために,一度ならず二度までも物を送ってくれたのです。 17 わたしは贈り物を切に求めているというのではありません。あなた方の勘定にとっていっそうの誉れとなる実を切に求めているのです。 18 わたし自身はすべてのものを十分に持ち,満ちあふれるほどに豊かです。わたしは満ち満ちています。あなた方からのものをエパフロデトから受けたからです。それは,芳しい香り,受け入れられる犠牲,神に大いに喜ばれるものです。 19 代わってわたしの神は,キリスト・イエスにより,あなた方の必要すべてを,その栄光の富に応じて十分に満たしてくださるでしょう。 20 では,わたしたちの神また父に,栄光が限りなく永久にありますように。アーメン。 21 キリスト・イエスと結ばれた聖なる者すべてにわたしのあいさつを伝えてください。わたしと共にいる兄弟たちがあなた方にあいさつを送っています。 22 すべての聖なる者たち,特にカエサルの家の人たちが,あなた方にあいさつを送っています。 23 主イエス・キリストの過分のご親切が,あなた方の[示す]霊と共に[ありますように]。
https://w.atwiki.jp/hinatti/
このwikiはいろいろな掲示板の説明をしております リンクなどは自由です 意見などがある場合はこちらに書き込んでください 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/bltphive/pages/15.html
http //www2.atchs.jp/bltphive/ こちらがモラリストの掲示板です。 チェックよろ。 スレッドも自由に立てちゃってください。 重要な更新があるときは、更新履歴の上のほうに持ってきます。 5555 -- 5555 (2008-03-08 23 40 45) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/129.html
目次 1.私の全生涯は旧約聖書に予言されたとおりでした 2.私は神の一人子でもなく、また犠牲(いけにえ)でもなかった 3.十字架とは何か 4.「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」の解釈は誤り 5.パウロは私を霊視できた 6.ヘロデ王の幼児狩りは作り話 7.処女懐妊論は誤り 8.私は七歳で霊道を開いていた 9.私にも罪はあった 10.萬教の本源は一つ、人はみな神の子 (このイエス・キリストの霊訓は、一九八二年一月一日、招霊の際の霊言録。霊声者・大川隆法、対話者・善川三朗) 1.私の全生涯は旧約聖書に予言されたとおりでした 「イエス・キリスト、出て来て下さい、イエス・キリスト、出て来て下さい。イエス・キリスト、インマヌエル、インマヌエル、イエス出て来て下さい」 (暫くの間、大川隆法のキリスト招霊の声が続く) イエス はい―。 大川 あなたのお名前を。 イエス イエス・キリスト―。 善川 イエス様、本日はわざわざお招びたてして恐縮しております。 イエス はい―、何でしょう―。 善川 まず、私たちの勉学のために、旧、新約両聖書に記述されている事柄についてお伺いしたいと思いますが、先ほど、イザヤ様をお招きしたのですが、その際、あなたが肉体をもってイスラエルの地にお生れになったこと、これは旧約聖書にもありますように、はやくからイザヤ様たちによって予言されていたことですね。 イエス そうです。 善川 新約聖書によりますと、イエス様のご生涯において起きた事柄は、何事もこれは旧約聖書に書かれてあるように、それぞれの時代における予言者が言った「予言が成就されんが為なり」という表現になっておりますが、そのとおりであったわけなのでしょうか。 イエス 事実としては、どちらにしても同じですね。確かに予言はありましたし、私は予言のとおりの生涯を終えました。ですから「予言が成就されんが為に」という言葉はたしかにおかしいかも知れませんが、既に私があのような生涯を送るということが、この地上に出る前に、分っていたということは言えます。ですから、成就されんがために、という言葉に余りとらわれてはいけませんね。 2.私は神の一人子でもなく、また犠牲(いけにえ)でもなかった 善川 過去の人もそうであったでしょうが、現在のキリスト教の信者の方々も、あなたのことを「神のひとり子」だと言われたというふうに解釈されておりますが、当時あなたご自身、そういうお考えであったのでしょうか。 イエス ―それは間違っております。「ひとり子」ではありません―。 善川 そうですか。あなたは「われは神の子」であるとおっしゃられましたか。 イエス わたしは神の子であると申しました。しかし、ひとり子、であるとは言っておりません。間違いです。 善川 そうですか。次におたずねいたしますが、これも聖書にもとづいてですが、神は、あなたを、犠牲(いけにえ)として、十字架につけることによって人類の罪を贖(あがな)ったのだと解釈しておりますが―。 イエス 私は、仔羊や、山羊とは違います。当時、仔羊を神に捧げる、祭壇に捧げて神に供養するという習慣がありましたから、私のことを、そのように解釈されたかも知れませんが、生贄(いけにえ)とか、犠牲とかでは私はないのです。 善川 そのことについて、人類の罪が赦され贖われるということ、ただし洗礼を受けてキリスト教を信ずるという契約においてですが―。 イエス そんなに安易に罪が赦されるわけではありません。 善川 そういうふうに解釈しているのが、今日のキリスト教の主流ですが―。 イエス それは間違っております。 善川 これは根本的な問題なのですが、そういうことについて、あなたはあなたの直弟子なり、あなたの影響下にあるその筋の人を遣わして指導したことがありますか。 イエス あります。 善川 たとえばペテロについてはどうだったのでしょうか。 イエス ペテロですか、。ペテロがこの日本に再生したときのことですね。 善川 そうです。 イエス 私は直接は指導しておりませんが、やはり。ペテロの親しい人達がペテロを指導していたはずです。 善川 しかし、矢内原忠雄という名でこの日本へ再生されたペテロは、やはり、いま言ったことを同じように言って来ました。 イエス 今言ったこととはどういうことでしょう。 善川 矢内原先生は、イエス様は神のひとり子であったとし、イエス様の御名を通すことによって人の罪は赦されるのだと説いておられましたが……。 イエス 肉を持てば、すべては分らないのです。たしかにキリスト教の中に生きる人にとっては、私は神のひとり子かも知れませんが、実際は、そうではありません。しかし、私は、神に最もそば近くにある人間であることは確かです―。 善川 それはもう万人が認めて、あなた様を崇拝しているところでありますが、神のたったひとりの御子であるということについて、疑問があったということと、しかし、そのようなことを、いつまでも教えているということについての指導が、なぜなされないのかということを……。 イエス しかし、私は、あなたに言っておきたい。確かに「ひとり子」という考えは間違っているかも知れませんよ。しかしながら、ひとり子ということを信ずることによって、私の教えに帰依する人はいるはずです。私は、死して既に二千年になりなんとしていますが、しかしながら、私の教えの中にもまだ真理は残っております。ですから彼らが私を、一人子か、二人子か、三つ子か、そのようなことを考えるのではなくて、ただに私を一人子と信じても、そのことによって、それをとおして、私の教えに接することがあるのであれば、その方法、そのみちすじは、問うべきではないのではないでしょうか。 真理に到達することこそが、真に必要なことであって、私をひとり子だと信じるかどうかというようなこと、そのようなことは関係がないはずですし、私自身、自分が神だとは言っていないはずです―。 善川 当時、民衆が神を間うた時に、あなたは「われを見よ」と言われたことがありますか。 イエス そうです、あります。「私を通して神を感じ取りなさい」と、常づね説きました。神を見せよと言われても、神を眼の前に見せることはできません。しかしながら、私は神のそば近くいるものであります。そのことは、私は自覚しておりました。ですから、私を見、私の言葉を聴き、私の行いを見る中に、神の一部分か見ることはできるはずです。 3.十字架とは何か 善川 よく解りました。お教え願いたいことのいま一つは、あなたがおっしゃったお言葉の中に、「人もし我に従い来たらんと思はば、己れを捨て、日々おのが十字架を負ひて我に従へ。」という聖句が残っておりますが、その意味についてお教え願いたいのですが。 イエス あなたはどう考えていますか。 善川 その点について私は悩んでいるところです。「己れを捨て……」というところが、どの程度の己れを捨てるということでありましょうか……。 イエス 肉体煩悩を断て、という仏教の教えと同じことです。己れを捨てとは、己れ自身の心を捨てということではありません。神の子としての自覚を捨てるということではありません。 この世に生き易く生きたいというような念いですね、そのような囚われている自己を捨てなさいということです。しかし十字架というのは、ひとりひとりが負っているものです。その十字架というのは、肉体を持つことによって、肉体自身が十字架になっているのです。肉体をよく見なさい、十字架になっているはずです。 善川 肉体という重荷を負っていることが、十字架であるという自覚をせよ、とおっしゃるわけですか。 イエス 肉体を持ち、この世に修行するということ、これはどのような大指導霊がこの地上に出たところで、この現象界、この自然に条件づけられているということ、ここから逃れることはできないのです。 この肉体を持って何十年間の人生を生きていかなければならないということ、これが十字架です。 4.「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」の解釈は誤り 善川 いま一度お尋ねいたしたいのですが、ゴルゴダの丘で十字架に掛けられ肉体としての最後のお言葉を発せられたイエス様のお言葉をもう一回お聴きし、その節のイエス様のご心情を理解申し上げたいと思うのですが―。と申しますのは、あなたが叫ばれた「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ!』というお言葉を聖書は、『わが神、わが神、なんぞわれを見捨て給いし!」と解釈しておりますために―。 イエス 間違っております―、間違っています。 善川 今あらためてそのことの、本当の意味をあなたのおロからお聴かせねがいたいのですが―。 イエス その解釈は間違いです……。 善川 なんと仰せられたのですか、お聞かせ下さい。 イエス 「エリヤ、エリヤ、ラッファエロ! エリヤ、エリヤ、ラッファエロ、サバイタア!!」 善川 そのお言葉は、何という意味だったのでしょうか、お教え下さい。 イエス エリヤ、およびラッファエロを私は呼んでおりました。迎えに来なさいということです。 善川 迎えに来なさいと仰しゃったのですね。 イエス 私は今死ぬ時が来た、この地上を去る時が来た、光の天僕達よ、私を迎えに来なさい!と、そういうことを私は言ったのです。 善川 はい、よくわかりました。 その後あなた様は復活されました。その時十二弟子、いや十一弟子ですね。その十一人のお弟子さんの所へ現われたということは事実でしょうか。 イエス 私の復活ということに関してですけれども、私は現象として、彼らの前に現われたのではないのです。彼ら自身が霊能力を持っていたということです。彼ら自身が私の姿を見ることができたのです。復活現象というものは、私が生きた人間と同じように、彼処(あそこ)に現われて歩いたということではないのです。彼ら自身が、私が何者であったかということを、霊の目を通して見ることができたということであります。余り現象的に、肉体的に復活を考えられては困ります。 善川 では処刑をうけた日より三日後にあたりますか。お身内の人びとが、仮埋葬された墓地に、香油を持ってあなたを訪ねた時に、あなたのお姿はそこになかったということですが―。 イエス もちろん私は墓にはおりませんでしたが、あなたは私の肉体のことをいっているのですか? 善川 そうです、あなたのご遺体が消えていたということについて。 イエス 私を信ずる者の一人が、肉体としての私を何処かに運び去ったということです。 5.パウロは私を霊視できた 善川 その後あなたはパウロの前にお現われになったことがありますか。 イエス パウロは私と語り合うことができました。 今わたしが大川隆法に呼ばれてここに来てこうして話しているように、パウロと私とは当時話ができたということですね。常にこう現われて日常生活の中に一緒にいたわけではない。このような場をもつことによって、私は彼らに会うことができたということです。 善川 いや、そもそも彼はあなたや、あなたのお弟子達を弾圧しておったのではないですか。 イエス そもそもはそうです。 善川 彼パウロが、あなたを信ずる人びとを、エルサレムヘ連行するために、ダマスクス街道を歩いて行くうちに突然天からあなたの声が聞こえ「サウロよ、サウロよ、なぜわたしたちを迫害するのか……」と言われて、彼は地上に倒れ、三日間眼も見えず、食も通らなかったと聖書にはあり、その後あなたを信ずるようになり、使徒の一員となったとありますが。 イエス あなたは、私の死後のことを言っているのですか。 善川 そうです。 イエス その前のことを言っているのですか。 善川 死後のことです。パウロがはじめてあなたにお目にかかったのは、あなたの死後のことでしょう。そういうことですね。それで彼はあなたを雲視し、厳しい霊言を聞いて、以来回心し、あなたを信じ、あなたの使徒となったのではないのですか。 イエス 違うのです、違うのです、違っているのです。パウロが私たちの教えを弾圧というのは言い過ぎでしょう。つまり批判ですね、批判を加えていたのは初期の段階です。彼は私が生きていた時に、既にもう私の教えを信ずるようになっておりました。 善川 そうですか。 イエス 初期の段階です。あなた方が、いまあなた方に向かっている大川隆法の言っていることを当初信じられなかったような、同じようなことだと思っていただいてよいと思います。 6.ヘロデ王の幼児狩りは作り話 善川 そうですか。次にお伺いしたいことは、あなたはご生誕後、生母マリア様とご一緒にエジプトの地に逃がれて行ったという聖書の記述のことについてですが―。 イエス エジプトに? 何ですか……。 善川 かつて東方から来た占星術の学者たちが、エルサレムのヘロデ王のもとに行き、生誕されたあなた様のみもとへまいり祝福されたが、神のみ使いか父君ヨセフ様に霊告され、へロデ王がベトヘレム周辺一帯の二歳以下の男の子供を捕らえて殺すということで、夜の明けぬ間にエジプトの地に避難されたということでありますが―。 イエス それは、いわば迷信です。後の人達が、そのような物語を作り出したということであって実際、預言者が私が生れることを告げたからといって、すべての男の子を殺すようなことがあったわけはありません。 善川 そうですか。それはともかくとして、あなた様のご生母マリア様のことについて―。 イエス 彼女が生きていたころは、平凡な大工の妻として、善人としての生涯を終えました。 7.処女懐妊論は誤り 善川 そうでしたか。それで、その時のお父様はヨセフと申された方であったそうですが、聖書によれば、実はこの方は、あなた様の実のお父様ではなくて、いわゆる処女懐妊という……。 イエス 間違いです。そのようなことは、後世の人が、私を神格化するために考え出したことであります。私自身は正常な夫婦の営みの中に生れてきました。私が本当に神の子であるならば、生れる時にそのような奇蹟的な生れ方をする必要はないのです。普通の人間として生れ、やがて悟り、人びとに、神の道を説けばそれでよいではないですか。 最初からそのような奇蹟の中に生れる必要はないはずです。私も人間として生れたのです。 人間として生れ、さまざまな苦しみの中に悟っていったのです。 善川 お伺いします。聖書によれば、あなたが人びとに教えを説かれるまでの間が、空白になっているのですが。 イエス それは削除されたのです。私の三十歳頃までのことも、当初の聖書の中には書かれていたのです。なぜ削除されたか、それは私の三十歳ぐらいまでの生き方が、余りにも人間的だったからです。神の子として、神聖化するのには困るから削除されてしまったのです。 あたかも私が生れた時に、処女マリアから生れたといわれるには、私の三十歳までの、人間的な、あまりにも人間的な生き方を書いたならば、後の世の人たちはこのことをとても信じてはくれない。とても神の子だとは信じてくれないという思いから、何度かの聖書の書き換えによって削除されてしまったのです。当初の十一弟子たちの私のことを記したものの中には、私の三十歳ぐらいまでのことも逐一書かれていたのです。 善川 それを聖書の中では窺うことができなかったのですが、その間実生活としてはどのようなご生活をなさっておられましたか。普通の生活をされておられたのですか。 イエス そうです。 善川 お父様のお手伝いをされておられたのですか。 イエス 大工の子供でした。しかし勉強しました。私は寸暇を借しんで勉強をしました。預言書を読みました。現にその当時の宗教家たちの意見も聴きました。しかし後の世の人たちは、私がそのような勉強をして、はじめて法を説いたということは堪えられないことだったのです。 8.私は七歳で霊道を開いていた 善川 しかし、あなたはその頃、既に霊道が開かれておりましたか。 イエス 開かれておりました。 善川 何歳ぐらいからですか。 イエス 七歳です。 善川 ルカ伝によれば、その頃あなたはご両親に連れられて、過越(すぎこし)の祭りにエルサレムに上っていかれたようでしたが、十二歳の折りにエルサレムの神殿で、学者、パリサイ人たちと議論を交しておられたということですが―。 イエス それは言い過ぎです。それは神格化されたものです。ただ私は、当時教会などに行っている変わった子供だというふうに見られ、そのようなものに興味を示していた子供であったわけです。 善川 あなたのご兄弟の中で、あなたと同じように、神の道を説いた方はおられますか。 イエス 一人もおりません。彼らと私は肉においては兄弟でありますが、精神においては全く他人でありました。 善川 その後あなたは荒野に出られましたですね、そこで―。 イエス サタン、ペルゼベフ、そのベルゼベフの試みを受けました。 善川 しかしその前に、あなたはバプテスマのヨハネに会われました。 イエス 会いました。 善川 彼はあなたが救世主だということを知っておりましたか。 イエス 知っておりました。 善川 そしてその時ヨハネはあなたに、「私があなたの洗礼を受けねばならぬ立場にあるものではありませんか」と言ったときに、あなたは「今は許せ」といってヨハネのバプテスマを受けられたということですが……。 イエス 私の謙遜の言葉だと受け取って下さい。彼は私に対し、靴の紐も解く値打ちもない、と言いましたが、そのことをそのままに受けて、私が人びとに言って歩いたとしたら、私は不遜で傲慢な人間になってしまいます。私は、私の教えを説き、やがて評価されるとしても、最初からそのような、特に優れた人間のようなはじめ方はしたくなかったのです。なぜなら、私も当初教えを説き始めた頃には、さまざまなサタンの試みを受けており、増長慢の心を持ったら私自身が危険であったからです。 善川 あなたが荒野でいろんなサタンの試みを受けたということは事実でしょうか。 イエス 事実です。 善川 荒野でということは、例えばその地を道場として、座して観法でも行った際のできごとですか。 イエス 荒野というのは一つの象徴です。荒野という地域があったわけではないのです。いろんなところでサタンの試みを受けました。それを弟子達が象徴的に語っているのです。 善川 そこで、その試練の時期を乗り越えた時に、あなたは神の子として完全な悟りを開かれたわけですか。 イエス 完全はありません。完全というものはありません。 9.私にも罪はあった 善川 あなたのことについて、イエス・キリストは、神の一人子であって一点の罪もなく、この世に生れ、この世を去った方だとキリスト教を信ずる方々は言っていますが、そうであったのですか。 イエス 悲しいことではありますが、私もさまざまな罪を犯しました。私はたとえば、親孝行をしませんでした。これは私の罪でありましょう。私は兄弟たちを捨てました。これも罪であったでしょう。とり方によっては私の声は、ある時は不遜に聴こえ、傲慢に聴こえたでしょう。あるときは、かつての宗教、モーゼの教えを信じていた人たちを傷つけたかも知れません。これもある意味では罪でありましょう。しかしながら、そうしてでも実現しなければならないことがあったのです。そうです。大きな道があったのです。私はその過程でさまざまな罪を犯しております。私は一つの罪もなく殺されたものではありません。 善川 それでは聖句の中に「もし右の目汝をつまずかせば、抉(えぐ)り出して棄てよ。五体の一つ亡びて全身ゲヘナに投げ入れられぬは益なり。もし右の手汝をつまずかせば切りて捨てよ・…:」という一節があるわけなんですが。 イエス 言い過ぎです。それは後の人びとがかなり誇張した形で言い過ぎております。 善川 言い過ぎといいますと―。 イエス 目を棄てよ、とまでは私は言っておりません。 善川 もし右の手汝をつまずかせば切りて棄てよと。 イエス 言い過ぎです。ただ私はそのような眼を持つなら、眼を持たない盲目(めしい)の方がましだということを言ったのです。目を抉りて棄てよなどとは、私はいっておりません。 善川 そういう誡(いましめ)を守り、自らの腕を切った僧侶もいましたですね。 イエス 愚かであります。そういう話を聞くことは、非常に悲しいことです。私たちにとって、自分の教えがその通り伝わらず、間違ったふうに伝わり、間違ったようにとられ、さまざまな不幸を生み出すということは一番つらいことです。私は目を抉りとれとまでは言っていないのです。そのような眼は持たぬ方がましだと言ったのであります。 10.萬教の本源は一つ、人はみな神の子 善川 最後にお尋ねいたしますが、私はそもそも今世において、最初に神縁を授けられたのはキリスト教でありました。その意味もあって、あるいは過去世において、あなた様の又弟子の一人にでも加えさせていただいたのではないかと思うのでありますが、如何でしょうか。お伺いいたします。 イエス 私の弟子であったのではなくて、私たちの弟子だったというべきです。 善川 私たちとは? イエス 光の大指導霊たちです。私たちは一人だけで生きているのではありません。グループとなっているのです。仲間たちがいるのです。仲間たちの教え、如来界の人たちの考えは、やがて菩薩界の人たちに届いているのです。私たちは菩薩界の人たちを指導しております。そういう意味においてあなたは私の教えにもふれているかも知れません。 しかしながら私、イエス・キリストの教えも、釈迦の教えも、モーゼの教えも、マホメットの教えも、すべて一つだということなのですから、私の弟子だったということではなくて、私の天なる父の弟子だったというべきでしょう。 善川 あなたの仰しゃる天なる父といわれる方は、エル・ランティー様のことなのですか。 イエス エル・ランティーのことです。私が、わが主、わが父と言ったのはエル・ランティーです。 善川 エホバと言われた方は―。 イエス エホバも、エル・ランティーのことです。 善川 旧約聖書に出てくるエホバ神は、非常にイスラエル民族の擁護者といいますか、偏狭なまでにこの民族にのみ肩入れしていたような感じがありますが。 イエス 当時は一つの民族という域を越えた認識ができなかったのです。ですから後世から見れば、さまざまな民族があり、だから神が一つの民族を庇護するということは、不合理だと思えるかも知れませんが、当時としてはやはりそういう世界観だったということなのです。 善川 それでは旧約聖書第一章の創世記に出てくるアラーの神は、どうだったのでしょう―。 イエス アラーも私の主、父、アルラー・エル・ランティー、アラー・エル・ランティー、こうなったのです。 善川 今後は、日本に現われてくる多くの光の指導者達を、あなた様が中心となってご指導される計画でありましょうか。 イエス 私が既にこうして指導霊をつとめているのではないですか。 善川 その霊は、あなたに代わって現代に現われてきた指導霊ということでしょうか。 イエス そうです。私と同じ力を持っています。 善川 あなた様の分身、または魂の兄弟ということですか。 イエス 違います。ただ私と古くから交互に法を説いて来た仲間の霊だということです。 善川 その霊の過去世は歴史上に残っておりましょうか。 イエス 残っております。 善川 あなたが霊道を開かれたのが七歳ということでしたが―。 イエス 既に七歳の時から雲現象は現われておりましたけれども、布教が始まったのが遅かったわけです。 神の子としての自覚をもってから、その教えを人びとに説くまでの間は、その人自身の魂の修養をする時期があるのです。すぐに説くことはできないのです。あなた方にとっても、「正法」を説いて世の人びとを教えるまでには、今後さらに、何年かの修行が必要となりましょう。 善川 本日は失礼に当たるようなことをお尋ねしたりし、申し訳ありません。いろいろお教えいただき、本当にありがとうございました。今後のお導きをよろしくお願い申しあげます。
https://w.atwiki.jp/jcbak/
意見交換用掲示板 何でも好きなことを書いてください。 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/daniel1260/pages/285.html
1 政府や権威者たちに服し,[自分の]支配者として[それに]従順であるべきことを引き続き彼らに思い出させなさい。また,あらゆる良い業に備えをし, 2 だれのことも悪く言わず,争いを好むことなく,道理をわきまえ,すべての人に対して温和を尽くすべきこと[も思い出させなさい]。 3 わたしたちでさえ,かつては無分別で,不従順であり,惑わされ,さまざまな欲望や快楽の奴隷となり,悪とそねみのうちを歩み,憎悪すべき者,互いに憎み合う者であったのです。 4 しかし,わたしたちの救い主なる神の親切と人間に対する愛とがあらわされた時, 5 [神]は,わたしたちが義の業を行なったからではなく,ただご自分の憐れみのもとに,わたしたちを命に導いた洗いと,聖霊によってわたしたちを新たにすることとによって,わたしたちを救ってくださいました。 6 [神]はこの[霊]を,わたしたちの救い主なるイエス・キリストを通して豊かに注ぎ出してくださったのです。 7 それは,わたしたちがその方の過分のご親切によって義と宣せられた後,永遠の命の希望にしたがって相続人となるためでした。 8 このことばは信ずべきものです。そして,こうした点について,あなたが絶えず確固とした主張をするようにとわたしは願っています。それは,神を信じた人たちが,りっぱな業を続けるべきことを思いに留めるためです。これらはりっぱなことであって,人の益になります。 9 しかし,愚かな質問や系図や闘争,また律法をめぐる争いからは遠ざかっていなさい。これらは無益であり,無駄なことなのです。 10 分派を助長する者については,一度,またもう一度訓戒した後,これを退けなさい。11 あなたが知っているとおり,そのような人は道から外れて罪をおかし,自責の念を抱いているのです。 12 わたしがアルテマスかテキコをあなたのもとに遣わしたら,ニコポリスにいるわたしのところに来れるよう力を尽くしてください。わたしはそこで冬を過ごすことに決めたからです。 13 律法に通じた人であるゼナス,およびアポロには,旅に要る物を注意深く調え,彼らが何にも事欠くことのないようにしてあげなさい。 14 しかし,わたしたち一同も,自分たちの差し迫った必要を満たすためにりっぱな業を続けることを学ぶべきです。実を結ばない者とならないようにするためです。 15 わたしと一緒にいる人たちが皆あなたにあいさつを送っています。信仰にあってわたしたちに愛情を抱く人々にわたしのあいさつを伝えてください。過分のご親切があなた方すべてと共にありますように。
https://w.atwiki.jp/imonoshi/pages/40.html
キリスト論 第一部 使徒、教父、公会議から受け継ぐ 福音 第一章 新約におけるキリスト論 第二章 信仰のキリストから歴史のイエスへ 第三章 地上のイエスの宣教 第四章 メシアとしてのアイデンティティ 第五章 受難と十字架の死 第六章 イエスの復活と称揚 第七章 イエス・キリストの人性と神性の真理 第八章 位格の一性と本性の二性.エフェソス公会議(431)から第二ニケア公会議(787)へ 第九章 教父の学派 第二部 組織キリスト論の要点第十章 イエス・キリストの信と神の神秘 第十一章 イエス・キリスト 完全なる仲立ちにして救い主 第十二章 イエス・キリストにおける救済と宗教間対話 第十三章 イエス、 女から生まれた 神の子 (Gal 4,4) 第三部 霊的理解の深化第十四章 観想的キリスト論へ 第十五章 キリストの肉の神秘 とその気持ちの共有 第十六章 婚姻の霊にしたがったキリストにおける生 結び 第一部 使徒、教父、公会議から受け継ぐ 福音 第一章 新約におけるキリスト論 1. 多性における一性、発展の中の継続 2. 聖書における新約キリスト論の根拠 キリストは私が伝えるあのイエスである (Act 17,3) イエス・キリスト、イスラエルの希望の完遂 3. 新約キリスト論の発展過程と要約 私はアルファにしてオメガ、最初にして最後、初めであり終わりである (Ap 22,13) キリストの来臨からその先在へ キリスト論的信仰の定型句。いくつかの例。 第二章 信仰のキリストから歴史のイエスへ 1. 原典史料 異教の著作家とフラヴィウス・ヨセフス 福音書正典 外典 2. 福音研究の指針 3. 諸データ 生まれと知られざる時代 公的生涯、死、復活 4. 生活形式 第三章 地上のイエスの宣教 1. 公的生涯の始まり 洗礼者ヨハネの宣教 イエスの洗礼とメシア叙任 メシアの誘惑 2. 神の国の福音 3. 神の国の救いの多様性 奇跡 神の国の賜物 第四章 メシアとしてのアイデンティティ 1. 終末の預言、神の霊の充溢 偉大なる 預言者 拒絶される者、迫害される者 神殿破壊という象徴的行為 2. 神の命 の教師 イエスの倫理:トラーの完遂と超克 知恵の書的・終末論的倫理:地上の富の福音的利用 3. あなたはキリストです (Mt 22,16) 4. 人の子とヤハウェのしもべ 5. 花婿 花婿と断食 神の国と婚礼 6. 聖霊の内に生きる神/アッバとの関係 一性と相互性において生きられる関係 父の慈愛を顕わす 子 祈りの文脈において 7. 終わりとなる始まり、しもべとなるメシア 第五章 受難と十字架の死 1. 十字架の死:事実から解釈へ 十字架刑 十字架の言葉 (1Cor 1,18) 2. エウカリスティアの始まり 自己贈与と赦し 最後の晩餐の 心 3. ゲッセマネの苦しみ 4. 十字架の上で 第六章 イエスの復活と称揚 1. 復活のイエスとの出会いからその同定へ 2. 解釈の語彙 3. 神により復活し高められたイエス 4. 主イエスの身体. 新しい 永遠の 命の場所かつ泉 復活のイエスの霊的にして栄光なる身体 主と人類および世界との関係 5. 復活と来臨 第七章 イエス・キリストの人性と神性の真理 1. 信仰のしるしと公会議 2. 神の子の受肉の真理 グノーシス主義とキリスト仮現説 使徒的教父の応え:いくつかの例 リヨンのイレネウス テルトゥリアヌス オリゲネスとケルスス 3. アレクサンドリアとアンティオキアの神学学派 4. 三位一体の神秘の文脈におけるキリストの真の神性 三位一体論を背景とする異端 アリウス派 ニケア公会議(325) 5. 真の神 にして 真の人 たるキリストの位格の定義 み言葉と人性の関係 ラオディケアのアポリナリス 対アポリナリス 6. コンスタンティノポリス公会議(381) 聖霊の神性をめぐる四世紀の議論 コンスタンティノポリス信教 第八章 位格の一性と本性の二性.エフェソス公会議(431)から第二ニケア公会議(787)へ 1. エフェソス公会議(431) キリルスからネストリウスへの二通目の手紙 エフェソスの教え:キリストにおける一性 2. カルケドン公会議(451) 単性論 教皇レオ一世のキリスト論教義 カルケドン信教 3. カルケドン公会議の教義の異議、抗弁、解釈 ゼノンのヘノティコン(統一令) ユスティニアヌス帝の介入 第二コンスタンティヌス公会議 4. キリストの二つの働き、二つの意志 単勢力論と一神論 マクシムスの教義。単意説の断罪。 第三コンスタンティヌス公会議(681) 5. 第二ニケア公会議(787) 像の問題 像の反対者 像の支持者 第二ニケア公会議(787) 第九章 教父の学派 1. ニュッサのグレゴリウスの教義原理 2. アウグスティヌス(354-430)のキリスト論 受肉による人性において顕わされる神 キリストはご自身と御父とへ導く:受肉と媒介 3. ヨハネス・ダマスケヌス(650-750頃) 三本のキリスト論的説教 主の変容の説教 キリスト教的説教の意味 第二部 組織キリスト論の要点 第十章 イエス・キリストの信と神の神秘 1. イエス・キリストが呼ぶ神 2. キリスト論と三位一体神学の関係 キリスト論により整えられた神の話 経済的三位一体から内在的三位一体へ 三位一体論的一神論 3. 神および子としてのイエスのアイデンティティ 4. 受肉の啓示的側面 イエス・キリストは真理および神への道である 受肉した御言葉はご自身と御父を表す 5. イエス・キリストと霊の関係 第十一章 イエス・キリスト 完全なる仲立ちにして救い主 1. 世界救済の神の意志とキリストにおける救い 救済の普遍史と個別史 契約の歴史としての救済史 イエス・キリストは全世界の唯一の救い主である。 2. 救済受け入れの条件 信仰 隣人愛 3. 仲立ちという観点からのキリストにおける救済 仲立ち キリストの仲介の解釈.上昇・下降、二方向の動きから 4. キリストの光における人の神秘 キリスト論と人間論の関係 人の模範としてのイエス・キリスト 神はキリストにおいて人に恵みする キリストの光における人の召命 5. 死者の復活 第十二章 イエス・キリストにおける救済と宗教間対話 1. 公会議およびポスト公会議の教え 第二ヴァティカン公会議 教皇庁文書 対話と告知 2. 教会と他宗教における、聖霊を介してのキリストの働き 3. キリストの世界救済に奉仕する教会 キリストの仲介の光における教会と神の国 成就の待望.神の国の発展. 4. 他宗教の救済 第十三章 イエス、 女から生まれた 神の子 (Gal 4,4) キリスト論とマリア論 1. 受胎告知の語り 2. Lumen Gentium 第八章 キリストの歴史-救済の経済における処女マリア マリアと御子イエスとの合一 幸いなる処女マリアの救いの業への協力 3. 聖なる三位一体と処女マリア 4. 無原罪の宿りと神の母性の恩寵 5. 復活の救済的恩寵に参与し、天で栄光を受ける無原罪のマリア 6. 幸いなる処女マリア、霊的崇敬の教会モデル 第三部 霊的理解の深化 第十四章 観想的キリスト論へ 1. キリスト論的反省と信仰経験 2. 愛から生まれる真理に身を任せる 霊的感覚を通して 創られずして受肉し霊を吹き込まれた御言葉 を知る キリストへの魂の歴程 itinerarium mentis in Christum 第十五章 キリストの肉の神秘 とその気持ちの共有 1. 典礼と生活 復活の神秘への参加 典礼の役割 2. イエスの気持ちの 物語的 読解 3. 十字架上のキリストとの一致 イエスの十字架の元に集う教会のイコン エウカリスティアの祝儀のイコン 殉教者のイコン 4. フランシスカンの 歴程 :ボナヴェントゥラの教え 第十六章 婚姻の霊にしたがったキリストにおける生 1. キリスト論的教会論 2. 霊的経験と婚姻の比喩 結び 第一学年>キリスト論へ